ブログ

令和7年9月7日(日)

スタッフブログ

2025.09.08

無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇(むじょうじんじんみみょうほう ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

我今見聞得受持 願解如来眞實義(がこんけんもんとくじゅうじ がんげにょらいしんじつぎ)

蕎麦はまだ花でもてなす山路かな  松尾芭蕉

こんなところで松尾芭蕉の句を一句載させていただきました。

みなさまは花はお好きでしょうか。

酸いも甘いもあるかと思います。甘い蜜には,,,でしたり酸いを好んで行く方は、なかなかいらしゃらなくなってきました。

蕎麦屋そばを食べに行こうとして、まだ蕎麦の時期ではなかったが、ソバの花がとても美しかったという句であります。

今の時代スマートフォンやスマートウォッチなるものパソコンもですが、たいへんたいへん便利な時代になりました。

その分あれやこれやの時もまたしかりです。

いまみなさんの観ているこのブログもスマホやパソコン有っての拝見になりますが、心に残るものはなにでしょうか?

自由な発言や行動のできるこの世に幸せはどこで感じられますでしょうか。

1人1人ちがうけど、その1人1人が楽しく笑顔になれるところは必ずあります。

目的地に行って楽しむこと、配信を楽しむこと、ひとと出会って楽しむことのいろんな出会い方があります。

花が咲いているところにはいろんないきものと出会えます。

たとえばハチ、蝶、人、鳥などあらゆる命ある生き物があつまります。

いのちを繋ぐのはむずかしいかんたんあったりなかったり、それを観るあほうにわらうあほうその中にホントウのしあわせというものがございます。

当たり前に感じるがゆえに笑顔や涙が溢れていますが、やっぱりよく思われん者もかならずいらっしゃいます。

仕合せに感じることを不幸に感じる気持ち、その刺激欲しさにもっともっとと負の感情感受たる不幸せを好むのもまたまたかくのごとしです。

いきもののこころはわかりません、わからないからこそ通じ逢いたいものです。

時間がかかれば疲れてしまう、それを癒してもらえるのは生きているものと巡り合えるからであって初めから用意はされていません。

だれかの智慧や知識それを受け入れていただける方がいらっしゃってその物が生まれます。

令和の時代周りを見渡せば、ありとあらゆる物であふれかえって、むしろ大切なものが霞みいってむなしくかなしくなりかねません。

みなさんの感じる人ってなんでしょうか?ひと?ヒト?非ト?道具?都合のいいもの?に少なからずそのように受け取れてしまう哀しい時代に感じます。

目的があって行動、選びきれなくて悩む、そもそも選択肢に見当たらないが今の時代なんとかなります。もちろんえらく昔から具わっていることではありますが機械に電波に色が付き考える能力が変わってきました。その分の得られるの有難さも色付き眼鏡でおしゃれになっちゃいますよね。

そんな一期一会の世界で無上の功徳となるのが浄土宗の『南無阿弥陀仏』です。

なにげない間違いに南無阿弥陀仏と、良かったことに南無阿弥陀仏と称えてはいけない時間はありません。活きている時間=お念仏申す時機になります。

時間に余裕がないときは、お称えできる時間に称えてください。

蕎麦はまだ花でもてなす山路かなであります。

西方極楽浄土に往き生まれるところがある幸せ、阿彌陀佛の在ます幸せ、お称えできる幸せ、ことばにできない気持ちになります。

あたりまえを見直し振り返ってみるといかがでしょう。

私も色んな方と出会える幸せに観無量寿です。(譽(「誉」よ・ほまれ))世は常に無常

自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報佛恩  合掌十念 

この記事をシェアする