諸行無常(しょぎょうむじょう)
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生滅滅已(しょうめつめっち)
寂滅為楽(じゃくめついらく)
これを『雪山偈』(せっせんげ)と云います。
諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しょぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
これを七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)
たいへんむずかしい漢字や感じがゴロゴロしておりますが、ここではなるべく解りやすくしてみたいと思います。読んでいただくとわかってくるはずです。
まず初めの『せっせんげ』【雪山偈】から
この教えが説かれたのは、お釈迦様が雪山菩薩(お釈迦様もあらゆる方に変化されています)のとき、羅刹(らせつ)「悪魔や悪鬼のこと」に変化(へんげ)された帝釈天(たいしゃくてん)【勇猛な武勇神(ぶゆうしん=ねがいの利益(りやく=よいこと)にあずかることで戦いに(争い)に勝ったり、身体的な力が向上する)】が過去仏所説(過去に成仏「人から仏に変化」した仏たちの功徳が積み重なった結果である)のときに説かれた偈頌(げじゅ・お經(きょう))
※帝釈天はとてもつよい天(てん)です。
もう一度、お釈迦様が雪山菩薩のときに、羅刹に変化された帝釈天が過去仏所説のときに説かれた偈頌です。更にくだくと、この偈を得るために雪山菩薩が羅刹に自分の自身を施すための修行
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽
諸行は無常、生滅の法なり。生滅の減り已りて、寂滅せるを楽となす
つまり、生きて感じることには常に変化(へんか)がある。そこに喜怒哀楽の気持ちを空(からっぽ)になして相手のためのこたえにする。
続いて、「しちぶつつうかいげ」【七仏通戒偈】で、
これは、過去七仏(毘婆尸仏・尸棄仏・毘舎浮仏・倶留孫仏・倶那含牟尼仏・迦葉仏・釈迦牟尼仏)
読み方は、びばしぶつ・しきぶつ・びしゃふぶつ・くるそんぶつ・くなごんむにぶつ・かしょうぶつ・しゃかむにぶつ
ここでの説明はしないでおきます。大変です
をはじめとする、あらゆるすべての仏・菩薩(ぼさつ)に結えること ※そうじゃなくてもいえる秩序の話
護っていかないといけないこと (全世界にも、いっていける)
過去七仏をはじめとする、あらゆるすべての佛・菩薩に自覚を持するに等しい教え ※仏・菩薩は悟っていないといけない 真理が、、、ねえ?
諸悪莫作(しょあくまくさ)
殺生、盗み、邪淫、妄語(嘘)、綺語(無意味な話)、悪口、両舌(中傷)、慳貪(執着)、瞋恚(怒り)、邪見(自分本位な考え方)といった十悪をはじめとする、あらゆる悪い行いをしないこと。
ほんとうに許されていかないおこない。ゆるされてなく、見られていないと思うだけ?!
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
身体、言葉、心の行為(身・口・意)で左右される善い行いに励むこと。※まちがえても過ちではなく、ここで『十善戒』
【身(しん)の行い】
不殺生(ふせっしょう) むやみに生き物を殺さない、命を大切にする。
不偸盗(ふちゅうとう) 人の物を盗まない。
不邪婬(ふじゃいん) みだらな男女の関係をしない。
【口(く)の行い】
不妄語(ふもうご) 嘘偽りを言わない。
不綺語(ふきご) 無意味なおしゃべりや、人を欺くような言葉を言わない。
不悪口(ふあっく) 人を傷つける悪口を言わない。
不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌を使ったり、陰口を言ったりしない。
【意(い)の行い】
不慳貪(ふけんどん) 欲深く、自分のものにしようとこだわらない。
不瞋恚(ふしんに) 怒りに任せて耐え忍ぶことをしない、穏やかな心を保つ。
不邪見(ふじゃけん) 間違った見方や、人を差別するような愚かな考え方をしない。
自浄其意(じじょうごい)
自分の心を清らかにし、感情や欲望に惑わされないようにすること。
是諸仏教(ぜしょぶっきょう):
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意の教えこそが、釈迦を含むすべての仏の教えの根本であるということです。
ここでの書いてあることはかたっ苦しく(むずかしくおもわれないように)ならないように、みなさんが赤ちゃんだったころに感じていたであろう心を大人になってわかっていることを自然と、、、
自覚されていっていることのたいせつさに気付いていただきたくことに意(こころ)があります。
浄土宗の大本願である念仏は、極楽往生の道にすすむときにしか声を出すことしかできません。
他の宗の教えがどうとか、こうとかはその時(じ)にしかわかりません。
ことば、もじ、とても重たいです。生きている以上善くしていきたいことが、じつはとんでもない裏があることは言うまでもありませんし、それはだれにもわからないしそれだけのおもいを考えてとめたいがむずかしいと、言えば言うほどむずかしくなり、口は災いのもとなどの恐ろしくも明確な教えが必要になります。
かんたんなことがむずかしい。むずかしいことがかんたん。
井上ひさしの言葉「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
というように悪しきことに染まれば染まるほど気づけば取り返しがつきません。
それが、この娑婆世界
念念称名常懺悔 合掌